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どうもこんにちは。時雨堂小道具係の槇野でございます。
自分の中で初めての一人芝居となる「すっきりしない人」の役者をしております。
さて、本日の稽古ですが、私は「すっきりしない人」の稽古を他のお芝居よりも先に開きコマを使って始めました。
ストレッチ、発声等は手短に演出さんと私で各々済ませ、通し稽古の時の反省点を生かしての稽古を始めました。
課題は「面白くできるシーンをしっかり作り、それにのっとり遊ぶ」といった感じ。笑えるはずのシーンをさらに笑えるものにするために、しっかりと動きを決めるところは決めるということをしていました。
芝居とは、稽古で積み上げたものを舞台において十分に使い、遊ぶ。ということが大切だと常々思っております。
そのためにこそ、まず第一は頭に芝居の台詞と流れを入れること。
次に芝居に膨らみを持たせ、遍く包むこと。
それをさらに洗練させ、流れをスムーズにすること。
そして最後に、余韻や抜きを作り、作品に深みを持たせることなどを心がけるべしであると思っています。
そうすることによって、自らの心を役と、ひいては芝居そのものとにつなげることもできるからです。
つなげられた心は、その世界において自由に動き回ることが出来ます。
そうなればこっちのもの、心は赴くままに舞台を歩き回り、自由に遊び始め、やがてはお客様をもその世界にいざなってくれるはずです。
しかし、それは上手くことが運べばの話。人というものはなかなかこれをやろうとすると苦労が多いものです。
そのため、演出と役者は激しく鉄を打つように稽古をして、その動きや台詞を洗練させます。台詞があらかた入り、芝居の流れが入り始めた頃ですから、生みの苦しみに悩まされる頃と言えるでしょう。私も今日の稽古は割と辛かったです。
なぜつらいかと言えば、自分を信用できなくなるということが一つと、見えないところを指摘させていらだつということが大まかな原因だと思います。
これは、自分の演技というものがすぐに変化を及ぼせないことに悔しがり、自分の演技というものを必要以上に貶めてしまうということと、自分の感覚だけではわからないところを演出さんにダメ出しされることで、合点が言ってない自分というもにひどく苛立ちを覚えてしまうということです。
これは、まだ私の体にしっかりと芝居そのものが浸透していないということでもありますし、芝居をするにあたって、上達というものが一朝一夕で得られるものではないことを如実に表していると言えます。
しかし、そういう辛さ中で生まれる芝居というものは、完成できた時が非常にうれしいのです。苦しみがあった分だけ、そこに付随する自由というものは計り知れません。稽古からの解放感と、着実に重ねた練習が合わさった時のパワーはいつもパフォーマンスをする側をも、楽しくさせてくれます。
稽古の時間はせいぜい1時間半。しかし、一対一で行うぶん、非常に濃密な時間となったのは確かです。1日丸ごと稽古することと同じくらいの教訓が得られたと思います。公演当日には、きっと素晴らしいものが見せられるという確信が胸に刻まれた1日でありました。
その後は他の芝居勢と合流し合同でストレッチ、発声などなどを一通り済ませて早めにご飯を食べ、私自身の稽古は終えたので、「外道(ガーター)」の稽古場をのぞきました。
ガーターでは、順位あてエチュードと、賞賛非難エチュード(勝手に命名)を行っていました。
順位あてエチュードとは文字通り、秘密裏に順位を決めてエチュードを行い、その順番を見ている側があてるというもの。
賞賛非難エチュードとは、まず役者たちで輪を作り、台本上の人物として中央に一人が立ち、その人に向けて役者それぞれが役として賞賛し、演出の合図でそれを非難に切り替えるというもの。
わかりやすくこの練習の意図を説明すると、前者は互いの上下関係を探り、権威に対してどういう行動をとるかということが問われ。後者は中央に立たされた役者をして、互いにどういう立ち位置でその人を見ているかということを把握しなければならないという意図がある練習であるといった感じ。なので、互いの役への認識を共有するということと、立場による態度の変化ということに対する練習が可能であるともいえるわけです。
立場と認識。これは、ガーターにおける重要な要素であるといえるでしょう。ぜひ公演に足を運んでいただいたときには、その点に注目すると面白いかもしれません。これ以上は言葉を控えます。
その後はシーン練でした。こちらはネタバレになるため内容は控えさせていただきます。こちらの稽古も非常に白熱したものになってきたとだけ伝えておくことにいたします。
どの稽古場も通しを終えて一念発起。今が一番芝居をいかに作るか悩む時期に差し掛かりました。これが本番までには、苦境を超えた晴れがましい舞台としてお客様一人一人の目、耳、鼻、肌へと物語を紡いでいくことでしょう。ぜひとも劇場における生(なま)の感覚。これをおひとりおひとりに感じていただきたい。そのためにも、私たちは余念なく、稽古に打ち込みたいと思います。
ぜひとも公演を楽しみにしていてください。
自分の中で初めての一人芝居となる「すっきりしない人」の役者をしております。
さて、本日の稽古ですが、私は「すっきりしない人」の稽古を他のお芝居よりも先に開きコマを使って始めました。
ストレッチ、発声等は手短に演出さんと私で各々済ませ、通し稽古の時の反省点を生かしての稽古を始めました。
課題は「面白くできるシーンをしっかり作り、それにのっとり遊ぶ」といった感じ。笑えるはずのシーンをさらに笑えるものにするために、しっかりと動きを決めるところは決めるということをしていました。
芝居とは、稽古で積み上げたものを舞台において十分に使い、遊ぶ。ということが大切だと常々思っております。
そのためにこそ、まず第一は頭に芝居の台詞と流れを入れること。
次に芝居に膨らみを持たせ、遍く包むこと。
それをさらに洗練させ、流れをスムーズにすること。
そして最後に、余韻や抜きを作り、作品に深みを持たせることなどを心がけるべしであると思っています。
そうすることによって、自らの心を役と、ひいては芝居そのものとにつなげることもできるからです。
つなげられた心は、その世界において自由に動き回ることが出来ます。
そうなればこっちのもの、心は赴くままに舞台を歩き回り、自由に遊び始め、やがてはお客様をもその世界にいざなってくれるはずです。
しかし、それは上手くことが運べばの話。人というものはなかなかこれをやろうとすると苦労が多いものです。
そのため、演出と役者は激しく鉄を打つように稽古をして、その動きや台詞を洗練させます。台詞があらかた入り、芝居の流れが入り始めた頃ですから、生みの苦しみに悩まされる頃と言えるでしょう。私も今日の稽古は割と辛かったです。
なぜつらいかと言えば、自分を信用できなくなるということが一つと、見えないところを指摘させていらだつということが大まかな原因だと思います。
これは、自分の演技というものがすぐに変化を及ぼせないことに悔しがり、自分の演技というものを必要以上に貶めてしまうということと、自分の感覚だけではわからないところを演出さんにダメ出しされることで、合点が言ってない自分というもにひどく苛立ちを覚えてしまうということです。
これは、まだ私の体にしっかりと芝居そのものが浸透していないということでもありますし、芝居をするにあたって、上達というものが一朝一夕で得られるものではないことを如実に表していると言えます。
しかし、そういう辛さ中で生まれる芝居というものは、完成できた時が非常にうれしいのです。苦しみがあった分だけ、そこに付随する自由というものは計り知れません。稽古からの解放感と、着実に重ねた練習が合わさった時のパワーはいつもパフォーマンスをする側をも、楽しくさせてくれます。
稽古の時間はせいぜい1時間半。しかし、一対一で行うぶん、非常に濃密な時間となったのは確かです。1日丸ごと稽古することと同じくらいの教訓が得られたと思います。公演当日には、きっと素晴らしいものが見せられるという確信が胸に刻まれた1日でありました。
その後は他の芝居勢と合流し合同でストレッチ、発声などなどを一通り済ませて早めにご飯を食べ、私自身の稽古は終えたので、「外道(ガーター)」の稽古場をのぞきました。
ガーターでは、順位あてエチュードと、賞賛非難エチュード(勝手に命名)を行っていました。
順位あてエチュードとは文字通り、秘密裏に順位を決めてエチュードを行い、その順番を見ている側があてるというもの。
賞賛非難エチュードとは、まず役者たちで輪を作り、台本上の人物として中央に一人が立ち、その人に向けて役者それぞれが役として賞賛し、演出の合図でそれを非難に切り替えるというもの。
わかりやすくこの練習の意図を説明すると、前者は互いの上下関係を探り、権威に対してどういう行動をとるかということが問われ。後者は中央に立たされた役者をして、互いにどういう立ち位置でその人を見ているかということを把握しなければならないという意図がある練習であるといった感じ。なので、互いの役への認識を共有するということと、立場による態度の変化ということに対する練習が可能であるともいえるわけです。
立場と認識。これは、ガーターにおける重要な要素であるといえるでしょう。ぜひ公演に足を運んでいただいたときには、その点に注目すると面白いかもしれません。これ以上は言葉を控えます。
その後はシーン練でした。こちらはネタバレになるため内容は控えさせていただきます。こちらの稽古も非常に白熱したものになってきたとだけ伝えておくことにいたします。
どの稽古場も通しを終えて一念発起。今が一番芝居をいかに作るか悩む時期に差し掛かりました。これが本番までには、苦境を超えた晴れがましい舞台としてお客様一人一人の目、耳、鼻、肌へと物語を紡いでいくことでしょう。ぜひとも劇場における生(なま)の感覚。これをおひとりおひとりに感じていただきたい。そのためにも、私たちは余念なく、稽古に打ち込みたいと思います。
ぜひとも公演を楽しみにしていてください。
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